special@Charge|チャージ 特集

【Charge】東京発 “美のカリスマ” 〜美のカリスマkinu プロデューサー 加来 聖子〜

加来 聖子

東京発の美のカリスマ kinuプロデューサーは、
宮崎のコンサート&イベントプロモーター会社の女社長であった。

宮崎県を拠点に、九州各地で主に音楽興業などを行う『株式会社GAKUONユニティ・フェイス』の加来聖子社長。実は彼女は、宮崎の女性を応援する月刊Chargeに昨年8月から掲載中の「東京で活躍している美のカリスマ達」のプロデューサーでもあった。コンサートプロモーター業界の中では珍しい女社長である彼女の本業のホームグラウンドは東京でもなく大都市ではなく人口の少ない地方都市ばかりである。それだけに大都市では考えられないような苦労があるし、仕事自体のリスクも大きいことから、それに見合った度胸も必要だ。しかし徹底的ともいえるポジティブ思考と、女性ならではの視点や心づかい、そしてそんな彼女の人間性を慕い多くの理解者・協力者が集まることで、これまでに地方では考えられなかったビッグイベント(大分・宮崎でのエイベックスグループの大イベント”a-nation”や大分でのアイススケートショー”Champions on Ice 2007 JAPAN TOUR”等)の開催を実現する要職を担っている。そこで、今回のインタビューでは、そんな彼女の人柄と、東京で出会った美のカリスマ達への思いと仕事に対する熱い思いに迫った。

──子供の頃は芸能界に憧れていたそうですね?
小学生のころは歌手に憧れていましたね。歌謡曲全盛の当時のことですから、例えばキャンディーズにピンク・レディー、歌だけでなく全て振り付けも覚えていましたよ。同級生達とグループを結成して、日本テレビの『スター誕生!』という番組に出演しようと本気で音楽の先生に相談して放課後練習していましたから。でも中学校でスポーツに目覚めてからというものは、ずっとバレーボールを続けて高校生の時はキャプテンを務めていたほどなんですよ。それでも音楽からは離れられずに、テレビの音楽番組などは必ず観ていましたけど。あと、手芸が好きで端切れをたくさん買い込んでパッチワークのクッションやら人形やら作って友達にプレゼントしたり、高校1年生の時にお年玉を貯めてオーブンを買ってお菓子を作って学校に持っていったりと物作りも好きだったんですよね。

──初めて手がけたコンサートの仕事を教えてください。
GAKUONに入社してまずは経理を担当し、経理と並行してチケット管理やデスクプロモーションなどの事務作業を行っていました。昔は女性はコンサートの現場でうろうろするな!と言われていた時代。じっとしていられない私の性分ですから現場がダメならと、バックには常に宣伝用のチラシやポスターなどをたくさん詰め込んで、事務の仕事とは別に勝手に宣伝活動をしていました。そんなある日、大江千里さんの野外ライブの話があり、担当の社員が病気で入院中だったので、それを引き継ぐ、というより強引に引き受けてしまったのがイベントプロモーターとしての初めての仕事です。私が32歳の時だったかしら・・・・

──コンサートプロモーターから美のカリスマにはどう結びついたのですか?
実は銀行員時代に、ブライダルファッションショーのアルバイトで、2〜3度モデルとしてショーに出た経験がありました。確か1999年頃の人気テレビドラマでカリスマ美容師が脚光を浴びた時代があり、まさにその時ファッションショーの経験が蘇り、「ファッションショーとヘアメイクショーとライブコンサートをコラボしたイベントをやりたい!」と直感し「ビューティフルライブ」を企画したのがスタートかな。企画後は、当時東京で日本トップのヘアメイクアーティスト井之丸泰子さんや世界で活躍するファッションデザイナー瀬田一郎さんとの出会いがあり、みなさん企画にノリノリだったのですが、いろんな事情で見送りという形で企画流れになってしまいました。その後、瀬田一郎さんの奥様であるランジェリーデザイナーの瀬田えまさんに出会い、えまさんデザインのブラジャーをいただき着けてみたら、肩こりで肩ひもNGだった私が、そのブラジャーを着けると不思議と肩がこらない・・・そんな感動の出会いがありました。その後、ふたりでランジェリーの企画に取り組んだゲルマニウムデザインショーツ「bodyc」が、楽天でバカ売れ(約35万枚)!私が31歳の頃、子宮ガン手術経験者であった事から 女性の体やお腹を温め効果のある瀬田えまデザインの機能的なおしゃれインナーをもっとたくさんに人に教えてあげたいという思いから瀬田えまのブランドであるホームページEmadollを立ち上げたのがきっかけで、後の美のカリスマkinuメンバーのみなさんに繋がっていると思います。

──美と音楽の融合は、今後あるのですか?
もちろんです!美のカリスマkinuメンバーの方は、真剣に美・食・健康・音楽と向い合い東京で活躍されている方ばかりです。みなさんとはお友達から繋がっているのですが、どんどん有名になっていっていく実力者ばがりです。素晴らしい才能をもった方をたくさんの方に紹介して知っていただくことが私のミッションでありプロデューサー的役目だと思っています。最近音楽が身近過ぎて音楽のすばらしさを気づかない方が多くいるのにあるデータで気付きました。まだまだコンサート人口は少ないようです。また、コンサート好きの方にも美・食・健康のあり方を奥深く知ってもらいたいし、美にはお金を惜しまない女性には特に生のステージで感動し脳を刺激する事により肌がうるおう瞬間を実感してほしいです。コンサート会場から出てくるお客様の笑顔は美しいですよ!

──最後に加来社長の美容法は?
実は私自身が化粧品のCMに出演していたりするのですが(笑)、正直なところあまり細かいお手入れはしていません。美のカリスマkinuメンバーのご指導も受けながらポジティブ思考で毎日走り続けています。やはりライブでみなさん美しくなりましょう!

(撮影・取材・文/松田秀人 協力:Kinu〜美のカリスマ)

投稿日時:2010.05.23(Sun) 12:00:00|投稿者:charge|コメントをお寄せ下さい

【Charge】東京発 “美のカリスマ” 〜グラフィティライター TOMI-E〜

TOMI-E

できる限り大きいものに挑戦したい。
今一番描いてみたいのはジャンボジェット機の機体!

15歳で単身渡米。アリゾナ、フロリダ、ユタ、L.A.などを渡り歩き、独学でグラフィティを習得。帰国後は有名企業(JT、JRA、松下電器、キューピー等)の平面広告からTV-CM、ブランドコラボレーション(CASIO G-SHOCK)、 スタジオセットなど、多方面に渡り活躍中の日本を代表するグラフィティライター TOMI-E。また、ラップ、DJ、ブレイクダンスとならび「ヒップホップの四大要素」のひとつに数えられるグラフィティだけに、彼の活動の中にはライブペインティングなども含まる。たくさんの観客が見守る中、ヒップホップミュージックのリズム合わせ、両手に持ったスプレー缶を自由自在に操り、大きな壁に短時間で個性溢れる図案を絶妙なバランスで完成させていく姿はまさに職人芸と呼べる。 プロのグラフィティライターという立場で現代の日本におけるグラフィティ文化を全国に広め、先頭に立って業界を牽引しているのがTOMI-Eであり。TOMI-Eの様々な挑戦こそが、今後グラフィティライターを目指す者達にとっての指針となるはずである。2006年にはTOMI-E自身をモデルとして取り上げられた映画「TAKI183」が公開される。そして現在は、音楽・ファッション・広告業界にとどまらず、日本のグラフィティライターとしては初のコンテンポラリーアートへの進出に意欲的な活動を行っている。そこで今回のインタビューでは、彼が独自のスタイルを確率するまでの道のりや超行動派である彼の思考を深く掘り下げてみた。

──どういった目的で渡米されたのですか。またどのくらいの期間渡米されていたのですか。
「最初のアメリカ体験は15歳の頃でした。アルバイトとして入った古着屋がよくアメリカに買い付けに行っていたんですよ。チャンスがあって、それでサンタモニカの大きなフリーマーケットに行き、その会場ではあちこちでストリートパフォーマンスをやっていて、かなり衝撃的でした。脳みそに詰め込むことではなく体感することだと感じたので、当時はまだ15歳でしたから、どうにか親を説得して語学留学という形で渡米することになりました。だからグラフィティ技術を習得するといったような目的があって渡米したわけではなく、単純にヒップホップカルチャーへのあこがれから、本物の世界感が体感したかっただけなんです。ちなみに期間は3年半です」

──TOMI-Eさんご自身は、そうした中でどのようなアクションを起こされたのですか?
「気がつけば『日本のギャングスターがやってきた』みたいになっちゃったんです(笑)。きっと今まで自分のような日本人がまわりにいなかったし、こちらが相手のことをよくわからないように、逆に向こうも自分をどう扱っていいものかがわからず、半ばびっくりしてしていたぐらいですから…。とにかく何処に行こうが何をやろうが、自分からアクションをおこす時に一番必要なのは、クソ度胸だと思いますよ。技術や体裁はその次でしょう」

──グラフィティは独学だということですが。
「ストリートの遊びの一環として独学で覚えていきました。たまたまライブペインティグを開催しているパーティ会場に足を運ぶ機会があって、その時のゲストライターが描いている姿を観察してそれを真似ました。当時の日本ではグラフィティのライブペインティングなどあまり見かけなかったかもしれないですが、アメリカでは方々のイベントで開催されているんです。だから技術的にわからない部分があれば、そうした会場で直接ライターに聞いたりし、そんな風にライター達と付き合っているうちにだんだんグラフィティ仲間も増えましたね」

──その後、本場仕込みのグラフィティを日本に持ち帰ったわけですが、当時(15年前)の日本は、グラフィティライターにとってどのような状況だったのですか。
「まあ今でもプロの定義なんていうものは明確には存在しませんが、当時東京近郊でグラフィティライターという肩書きを前面に出して活動していたのは、自分を含めて確か三人ほどでしたね。厳密にはどれほどのライターがいたかのかはまったくわかりません。ただそれほど、少なかったということです。もちろん誰もが『これで食っていこう』なんて考えてもいなかったと思います。みんななにか別の仕事をしながらグラフィティを描き続けているという状況でしたね」

──ギャラが発生した日本での初仕事を覚えていますか。
「自ら雑誌に売り込んで、某人気ストリート系の雑誌から取材依頼を受け、その掲載後の宣伝効果もあり、掲載後すぐに最初のオファーが仙台のクラブからありました。確か交通費・宿泊費と別にギャラが8万円支払われました。それまで自分の作品が買ってもらえるなんて考えていなかったから嬉しかったです。ただそれをきっかけに自分の作品に対してお金を支払ってくれる方が出てきた以上、ストリートに描き続ける行為は、その方に対してとても失礼な事だと判断し、すぐにストリートで描くことをやめてしまいました。」

──仕事の質がガラッと変わったと思える、転機となるような出来事を覚えていますか。
「日本に帰って3年ぐらいたった1997年に手がけたCASIO『G-SHOCK』とのコラボ商品ですね。たまたま描きためていた作品が先方の目に留まって、当時としては画期的なコラボが実現されたんです。製品が出来上がったときはかなり嬉しかったですね!『本当に自分でよかったの?』なんて思ってしまったり…。もちろん製品の影響力のおかげもあり、それからは大きな仕事が入ってくるようになりました。その次にオファーがかかったのが、JRA(日本中央競馬会)のG1レースのポスターの仕事です。なにせJRAのG1ポスターだから全国各地にばらまかれますからね!だからグラフィティ仲間達と盛り上がりました(笑)。その後は変わったところで漫画の連載なんかもやったりしました。そんなこんなで、いつしかグラフィティが生業になり、電気工事の仕事はやらなくなっていました」

◆物体があれば何にでも描ける!それがグラフィティアートの魅力。
──いままでTOMI-Eさんがオファーを受けた仕事の中で「いくらグラフィティだからってこんなのには描けないよ」というものはありましたか。
「それがまったくないんですよ。何かの物体がありさえすれば、建物だろうが、バッグだろうが、Tシャツだろうが何にでも描けてしまう。パンツ(下着)のコラボもあります。ある意味それがグラフィティアートの魅力なんだと思います。ただしいて上げるとすれば小さいものが苦手です…。逆に大きければ大きいほどやる気が湧いてきますね」

──では今もっとも描いてみたいものは?
「出来る限り大きいものにチャレンジしていきたいんですけど、特にジャンボジェット機は昔からの夢なんですよ!自分が描いた作品が大空を駆け抜けるって、これほど魅力的なことはないですよ。それが海外便であれば最高ですよね」

──それでは最後に今後の目標をお聞かせください。
「できれば、遠い昔に日本の絵師が海外の画家達をうならせたように、自分も早く単なるアーティストではなく、本物の職人と呼ばれるような人物になりたいと思っています。今年5月には、いままで描いてきた(1994年〜2010年)作品の画集を発表いたします。それを機に自分の名前の表記である『TOMI-E』を、これからは『富』と表記しようと考えています。やはり自分は日本人だから、たとえローマ字表記のほうが作品が海外に出た時にもわかりやすからといって、そうしたことに流される必要はないのだと割り切ることにしました。外国人の方にもちゃんと『富』という漢字を読んでもらい、この作品は日本人が描いた作品なんだと、視覚的に理解してもらおうと考えています」

(撮影・取材・文/松田秀人 協力:Kinu〜美のカリスマ)

投稿日時:2010.03.30(Tue) 12:00:00|投稿者:charge|コメントをお寄せ下さい

【Charge】human interview 〜瀬田 えま〜

東京発 “美のカリスマ”〜ランジェリー&レース デザイナー 瀬田 えま〜

これからも女性のためのモノづくりに力を入れていくことが
私の夢であり、使命だと思っています。

 これまでに「光るランジェリー」「究極の見せブラ」などが全国規模で次々に話題のヒット商品となり、様々なメディアなどにも多数出演した実績をもつ、ランジェリー界のパイオニア、瀬田えまさん。彼女が手がけるランジェリーには、女性のラインを美しく整え、また女心をくすぐるデザインの秀悦さはもちろんのこと、女性が本来持っている魅力を内面より引き出し、輝かせるパワーを持っている。 近年では自身が企画及びデザインを手がけたブランド『bodyc』(ゲルマニウムインナー)が「楽天市場・女性デイリー総合売り上げ1位を獲得」。 彼女がデザインする機能的でありながら優れたデザイン性をもつオリジナリティー溢れるランジェリーは、年齢を問わず多くの女性に受け入れられ、現在もリピーターの支持率が高く、次なる商品を心待ちにしているファンも多い。 2009年には、念願のオリジナルブランド 『Emadoll』 を立ち上げ 女性だけでなく、男性インナーも加わり、コラーゲンインナーは 注目を浴びている。 そこで今回のインタビューでは、元々絵画の世界で活躍していたという瀬田えまさんが「ランジェリーデザインは天職だと感じている」と語るその理由。そしてご自身がデザインされる商品への想い。さらに「一児の母」という立場から見た仕事感などを詳しくお聞きした。

──プロフィールの中で「17歳の時、自分の裸体(ヌード)を油絵で描きヌーベル主催の全国コンクール受賞」とありますが、子どもの頃からアートに興味を持たれ、その後、絵画からファッションの世界に移られるわけですね・・・・。
「両親が共にグラフィック関係の仕事をしていたので、家の中にもアート系の道具や書物がたくさんありました。だから小さな頃から絵本代わりに画集を見たりしていたのを記憶しています。中でもお気に入りはルネ・マグリット(シュールレアリスムの画家・1898年?1967年)でした。シュールレアリスムに関してはその後も好きだったので、常に画集を見ていましたね。私としては特に、絵画からファッションに移ったという感覚はありません。子供の頃から自分で縫うほど洋服がすきだったし、両親がデザイナーだったから、絵を描くように洋服もデザインしていたものです。そして文化服装学院で本格的に洋服の勉強をするとますます洋服が好きになっていったので、卒業後は山本耀司(やまもとようじ)さんのブランド『Yohji Yamamoto』に入社し、そこでパターン(型紙)を勉強しました。『Yohji Yamamoto』ではパリコレなど様々な経験をさせてもらい、中でも彼の仕事ぶりを近くで見れるのは本当にラッキーな事でした。モノを見る視点や感じ方の価値観は大きく変わりました。今でも、私にとってかけがえのない財産です。今の主人(ファッションデザイナー瀬田一郎氏)と同じ職場で出会い、その後、結婚、出産などで一時、仕事をお休みすることになりました」

──子育てや家庭と仕事、そしてランジェリーの世界へは何時ごろ、どのようなきっかけで入られたのですか?
「29歳頃に職場復帰できるようになり、それを機に兼ねてからやりたかったランジェリーデザインの世界に行くことにしました。ランジェリーは私が子どもの頃から大好きだった女性の曲線美と、その曲線を美しく演出する一番重要なアイテム!小さい頃からデザイナーである私の母は、働く女性の見本のような存在で、日々『女性も旦那さんや子どもの他にも自分の人生をもっていなければならない、誰かの為にではなく自分の為に生きる時間も大切』と言われてきたので、子供ができた時も仕事を辞めるということは全く考えませんでした。育児休業が終わって、復帰してからは、とにかく時間を無駄にしてはならいと、常にノートを持ち歩き、いつでも開けるような状態にして、保育園のお迎えでも、買い物でも、電車の中でも、時間さえあればいろいろとアイデアを書き込んだりデザイン画を描いたりしていました。『よくそこまでできるね』と言われることもあったけど、でも私にとってそれは別に特別なことではありませんでした。まあそれほど好きだったんですね」

──会社勤めの間にも「光るランジェリー」や「究極の見せブラ」などを発表され、テレビや新聞などのメディアでも話題となったようですが、『bodyc』は機能的にも非常に優れていたようですね。
「たくさん派手なものもデザインして来ましたが、近年真剣に女性のことを考え、デザイン性だけでなく機能的なものを作るようになりました。直接素肌に触れるものだから『内面から美しくなれる着る栄養素』をテーマに取り組んだところ、糸にゲルマニウムを織り込んだ新素材『チオクリーン糸』と出会いがあり、そして本物の高純度のゲルマニウム入り繊維を『チオクリーン糸』で作られたのがこの「bodyc」なんです。保温性があり女性に多い冷え性の方には、カラダに優しく、それでいて、ヒップアップ効果のあるカッティングや、耐久性にも優れた本格志向の製品に仕上がっているのでとても満足していただきヒット商品になりました。キャミソールは、IKKOさんのお気に入りアイテムになり、IKKOさんのホームページでも販売していますよ。ブラに関しても本来バストがもっている自然な丸み、膨らみを重視し、グラマラスさを強調しつつ、楽チンさを忘れていない優れものなので、着け心地も喜んでいただいています」

──念願のオリジナルブランドが誕生!『Emadoll』とは?
「子供の頃、洋服やさんごっこが好きで人形を集めてはその人形達に自分でデザインした洋服を作っていました。自分の手で人形達がどんどん美しく気飾り変わっていく…。魔法をかけていく様にワクワクしながら夢中で遊んでいました。私は幼心にデザイナーになっていっぱい洋服を作って女の人をきれいにしてあげたい・・・、そんな夢を抱いていました。その当時のごっこ遊びのお気に入りのお店の名前が「エマドール」=「Emadoll」。「Emadoll」は幼い少女の思いから始まってできた「女性を美しくする魔法をかけたい」そんな夢がいっぱい詰まった愛しいブランドです。ブランドデビュー作は、天然保湿成分コラーゲン・アミノ酸を一体化させた新しいテキスタイルで心地よいはき心地のコラーゲンショーツ。BOXもいろいろ使い回し出来るエコを考えた商品です。そして、最新作は、みせたくなるような着せかえブラストラップ! ブーム商品になればと願っています」

──最後にこれからの目標をお聞かせください。
「何歳になっても女性は美しくなりたいということに対して諦めてもらいたくないのです。私は仕事柄ランジェリーを通してという事になりますが、今後も女性達が内面・外面共に美しくなれるよう、なりつづける気持ちを持てるよう、商品開発だけではなく、時には言葉をつかったりもして訴えかけていきたいと思います。本来下着は見えないもの…。だからこそ自分のメンタルな部分に影響を与えるともいえます。人の肌がまず1番最初に、それもまる1日着けている下着を気持ちよく着けることができれば、きっと気持ちよくなれると思います。そして永遠のテーマでもある『愛』。まずは自分を愛しく思い、さらに他人を包み込むような愛のある人になってほしい…。そんな女性達がいつまでも輝いていられるようなモノづくりにパワーを注いでいけたらと思います」

Emadoll 商品のお取り寄せは
<お申込み方法は3通り>


【パソコン用】
http://www.kinu-s.com
〜kinu 美のカリスマサイト〜

【TEL】
0985-29-2957
平日/午前10時〜午後8時

【モバイル】
左記QRコードを読み取ってください。


投稿日時:2010.03.15(Mon) 17:25:05|投稿者:charge|コメントをお寄せ下さい

【Charge】human interview 〜西村 由紀江〜

東京発 “美のカリスマ”〜ピアニスト 西村 由紀江〜

音楽を通じて私という人間に触れていただき、共感してもらうことで、
元気や勇気を提供できればと思っています。

三歳からピアノをはじめ、小・中学生のころには音楽の才能を認められ、海外演奏旅行に参加。幼少期より類い稀な作曲能力に定評があり、桐朋学園大学ピアノ科入学と同時にアルバムデビュー。現在までに30枚を超えるアルバムをリリースする傍ら、テレビドラマ『101回目のプロポーズ』(フジテレビ)をはじめ、映画やCMなど様々なジャンルにおいてその音楽プロデュース能力を発揮する。また年間60本を超えるコンサート活動の中には、ヴァイオリニスト葉加瀬太郎氏プロデュースによる夏の音楽イベント『情熱大陸スペシャル』への参加から『学校・病院コンサート』といったライフワーク的なものまで様々。美しく人あたりのいい穏やかな人柄、幅広い活動、そしてテレビ番組でのピアノ講師の経験を活かした個性的なステージは、音楽の魅力を余すことなく伝えられるとして、年齢や性別を問わず多くのファンを魅了している。今回のインタビューでは、幼少時代やデビュー当時を振り返ってもらいつつ、独特の音楽観や最新アルバム『ビタミン』について、様々なエピソードを交え語ってもらった。

──3歳からピアノを始められたそうですが、そのきっかけを教えてください。
「近所のお友達が通っていたヤマハ音楽教室に『一緒にいかない?』って誘われたのがきっかけです。はじめて教室に顔を出した時、とても楽しい体験をしたのを覚えています。でも私は昔から手がとても小さくて、ほかの子ども達がスムーズに弾けるフレーズがうまく弾けなかったりして、いつも怒られていた記憶があります。だから自然に、技術的な部分ではなく、感覚的な部分に磨きをかけることを意識し『音』と接していたように思います」

──感覚的な部分を磨く作業とは具体的に言うとどのようなことですか。
「決して大げさな取り組みではなくピアノを弾くというよりは、ピアノを使って『音遊び』をするのが好きでした。特にハマったのが、いろんな絵本の各ページに音楽をつける遊びです。図書館でいろんな物語を借りてきてはページや場面ごとに音をイメージしてピアノを弾いてみる作業をしていました。そんな事を繰り返しているうちに、有名作曲家がつくった楽曲を誰よりもうまく弾くということよりも、自分で音を作り出すことに深くはまりこんでいくことになります。実は私は昔、かなりの対人恐怖症だったんです。幼稚園の頃から人前に立つとガチガチになって顔が赤くなり、何も話せなくなってしまんです。だから上手に友達をつくることが出来ず、いつも寂しい思いをしていました。だからピアノだけが友達だったんです。悲しい気持ちの時にピアノに向かいそっと音を出してみると自然と悲しいメロディーが出てしまうんです。そんな時『ああピアノだけが私の気持ちをわかってくれている』という気持ちになっていたのを覚えています」

──1986年、大学に入学されると同時にデビューアルバム『Angelique』を発表されましたね。
「実は高校2年生の時に、ヤマハ音楽教室でお世話になっていた方に『レコードを出しませんか?』とお誘いを受けて、単純に『自分が作った楽曲がレコードになるなんて素敵だな』ということからやってみようと思いました。リリースは1986年の大学入学後なのですが、レコーディングはリリース前年の年の高校3年生の夏休みにおこないました。確かジャケット撮影は冬休みだったと記憶しています。当時は今後の自分の進路にもプロ活動に関しても明確なヴィジョンなどまったくなかったので、どうせだから大学に通いながらゆっくり答えをだそうと考えたんです。でもやりはじめたらまったくそんな暇はなく、大学卒業までに計6枚ものアルバムをリリースしました。休日の記憶といえばレコーディングかキャンペーンですね」

──デビューから5年後には、あの有名なテレビドラマ『101回目のプロポーズ』(フジテレビ)で音楽プロデュースを担当されましたね。
「ドラマの全編にわたりクラシック音楽が使われていることから、クラシックが弾けて、尚かつ『劇伴』(映画、ドラマ、演劇などで流れる音楽の演奏)ができるピアニストが必要だったらしく、たまたまプロデューサーの方からお声かけしていただき取り組むことになったんです。内容的には主題歌であるCHAGE&ASKAさんの『SAY YES』以外は全て私が手がけました。劇中で流れる音楽として40曲ぐらい作曲しました。浅野温子さんが涙を流すシーンで必ず使われる、ショパンの『別れの曲』も、プロデューサーさんと話し合って、いくつかの候補の中から決めたんですよ」

──リリースされたばかりの最新アルバム『ビタミン』について詳しく教えてください。
「このアルバムは、葉加瀬太郎さんプロデュースレーベル“HATS”移籍第一弾となりました。2006年に独立してから約3年が経つのですが、やはりこの3年間でひしひしと感じたのは、いろんな方々のご協力があってはじめてこうして立っていられるということでした。だからずっと、みなさんにどうやってお返しできるかを考えていました。そうすると、どんどんメロディが湧いてきたので、こんな形で湧いてきた『ありがとう』の元気がいっぱいつまった音楽をみなさんに届けられたらいいなということから『ビタミン』が生まれました。タイトルも、私の音楽がみなさんのちょっとしたビタミンになればと思いつけました。そんなことから、今回のアルバムのライナーの中に、こんなシチュエーションの時に聴いてもらいたいとか、月曜日から日曜日までのおすすめサプリなどを私が書いています。できれば音楽を聴きながら、そんな文章にも目を通していただけたら嬉しいです」

──本日はありがとうございました。これからも素敵な音楽を聴かせて下さい!
(撮影・取材・文/松田秀人 協力:Kinu〜美のカリスマ)

ピアニスト西村由紀江 約2年ぶり、待望のフルアルバム!!
西村MUSICでみなさんにビタミンをお届けします!!
NEW ALBUM【ビタミン】 NOW ON SALE


●初回盤HUCD-10062/B
CD+DVD \3,500円(税込)
● 通常盤HUCD-10063
CD \3,150円(税込)
※写真は初回盤

≪収録曲≫
1 「ビタミン」
2 「優しい風」
3 「あの日のこと」
  (BS日本「こころの歌」
      エンディング曲)
4 「しあわせの花」
   (「全労済」CM曲)
5 「砂漠と光」
6 「フロンティア」
7 「水の舞曲」
   (コニシセイコー
     「b:mist」CM曲)
8 「生きること」
   (テレビ朝日SPドラマ
    「肉体の門」テーマ曲)
9 「予感」
10「届けたい」
11「おやすみ」


投稿日時:2010.02.20(Sat) 18:00:00|投稿者:charge|コメントをお寄せ下さい

【Charge】human interview 〜数学のカリスマ 力丸ヒロ子(力丸専務)〜

東京発 “美のカリスマ”〜数学のカリスマ 力丸ヒロ子(力丸専務)〜

ナンバーズの『THE 匠』の、
近6年で稼ぎ出した金額はなんと3千8百万円!
そんな宝くじの女王は・・・あの"スター"「錦野 旦」氏の恐妻!?

現在月刊誌『ロト・ナンバーズ"超"的中法』(主婦の友社)に予想を連載、その的中率の高さから「ナンバーズの達人」と呼ばれ、今では「THE 匠」とまで呼ばれるようになった『力丸専務』の愛称で知られる美しき数字のカリスマ 力丸ヒロ子さん。 「スター」の愛称で知られる歌手の錦野旦氏の妻(恐妻?)であり、元キャビンアテンダント、モデル、スタイリスト、トータルファッションアドバイザーと様々な顔を持つ力丸ヒロ子さんの子供時代の夢は数学教師。そんな才能あふれる彼女が今もっともはまっているのが『ナンバーズ』。もともと数字が大好きなだけに、的中に賭ける情熱は並々ならぬものを持っている。14年間かけて研究しつづけた高額当選を連発するための予想の心得、さらに何処へいっても旋風を巻き起こす彼女ならではのユニークな人生感を、錦野 旦氏との出会いや様々な過去のエピソードを含めたっぷりと語ってもらった。インタビューの最後には、最近気になるナンバーも発表してもらった。

◆数学の教科書ばかり眺めていた幼少期から、THE匠までの道のり
──旦那様の錦野旦氏は大分県出身ですが、力丸さんも同じ九州は福岡県のご出身なんですよね。まずは福岡時代の幼少期の面白いエピソードなどあればお聞かせ下さい。
「幼少のエピソードと言えば、3歳の時にはじめて家出をしました。とはいえ3歳児が歩いて行ける距離などたかが知れているのですぐ見つかってしまいましたが…。ところが見つかった時の私の格好が面白くて、風呂敷に物差しとたくさんの布を包み、それを体に巻き付けていたそうなんです。なんで変な格好をしていたかというと、和裁を生業にしていた伯母の口癖が『女は物差しと生地があれば生きていける』だったからです。今思えば、大人になって総合的なファッション関連の仕事をやるようになったきっかけも、きっと伯母の口癖が私の体にすり込まれていたからだと思います。『三つ子の魂百まで』っていうことわざもありますし、なにより私は母親よりも常に伯母の背中を見続けて育ったからしかたないんです」

──子供の頃から数字(数学)がとても好きだったと伺っておりますが。
「好きなんてもんじゃないですよ。もう保育園時代から数字が友達でしたからね。両親が教師だったこともあり、家の中にはたくさん教科書があったからいつも絵本のように眺めていましたよ。確かに漢字などは難しいですが、数字って図形的にもシンプルでわかりやすいじゃないですか?だからいつも数字ばかり眺めていたんです。そのうち読み書きもできるようになり、気がつけば小学校に上がる前には、かけ算がすらすらできるようになっていました。高校生の頃『あなたの夢は?』と聞かれれば、一環して『数学の先生』と答えてましたから間違いなく数学マニアでしたね」

──気がつけばキャビンアテンダントのインストラクター そこからファッションアドバイザーへまでの道のりを教えてください。
「大学卒業後は数学の先生をあきらめて、スチュワーデス(キャビンアテンダント)から気がつけばスチュワーデスのインストラクターになっていたんです。当時のスチュワーデスの定年(30歳)を迎える前に行動を起こしたかったから20代後半には辞表を出して退社し、まず東京のファッションの学校に通いながら同時にモデルの仕事をするようになりました。たまたま、東京のファッションスクールの先生がその当時『ルックルックこんにちは』の中の変身コーナー『あなたもトップレディ』を担当しており、何故か私に『番組でスタイリスト探しているんだけどやってみない』って声がかかったんです。すぐに了解をして、番組プロデューサーに合わせてもらいました。その時プロデューサーに最初に言われた言葉は今でも鮮明に覚えています。『君に番組スタイリストの仕事ができるのか?』と聞かれた私は『ぜひやりたいです』と答えました。すると『やりたいのとやれるのは全然違うんだよ!』と一喝されてしまいました。その時は凄く怖かったけれど、『大丈夫です。やります!』って言い放ち、必至になって頑張っていたら、すぐに気にいってもらえるようになり『ルックルックこんにちは』に関わっていたトータル7年のうちの前半の3年は裏方だったのですが、後半の4年は番組に出演するようにもなり、私は斬新なイメージが多かったので視聴者は面白がってくれていたようでした。ヘアやメイクの担当者にイメージを正確に伝えるのが難しく、全部自分でやりたくなってしまい、最終的にはやってましたね。そんな出来事が、のちにトータルファッションアドバイザーとして活動していくきっかけになったことは言うまでもありません」

──最近「恐妻」なんて言われてますけど・・・・
「私も男っぽい性格だから、感じたことは隠さずきちんと伝えるし、やらなければならないことはテキパキとクールにこなすので、いつの間にか怖いイメージがつき、最近では『恐妻』なんて言われるようになってしましました。常に5年後の錦野のことを考え動いているから、たまに錦野が動きが鈍っている時などにキツイひと言を放ってしまうんでしょうね。さらに今度の12月には『ツキを呼ぶ恐妻のススメ!』という本まで出版されます」

──数学大好き少女はいつしか「ナンバーズの達人」となり、今や「THE 匠」と呼ばれる存在ですが、ナンバーズをはじめたのはいつからですか。
「1994年のナンバーズ発売開始当時からはじめたのでもう14年になりますが、ナンバーズには数学マニアの心を動かされましたね。結婚前から一人でコツコツとやっていたのですが、結婚後は夫婦でやるようになり、試行錯誤を重ねるうちに、だんだんと数字の探し方みたいなもののコツが解ってきて、それからは面白いように当たるようになったんです。そうこうしているうちにその的中率がちょっとした話題となって、2003年から月刊誌の『ロト・ナンバーズ 超 的中法』(主婦の友社)という雑誌に、錦野と共に予想を連載するようになりました。そして少しづつ紙面でも成果を上げるようになり、しばらくすると『あれ?錦野さんより力丸さんのほうが当たってないですか』なんて言われるようになって、いつしか『ナンバーズの達人』と呼ばれるようになり、さらに実績を積み上げ『超達人』に昇格し、現在では『THE 匠』なんて、まるで格闘技選手みたいにもの凄いことになっています(笑)」

◆この6年間のうちにナンバーズで稼ぎ出した金額はなんと!?
──きっと企業秘密のようなものだとは思うのですが、できれば簡単に数字を導き出す考え方など教えて頂けないでしょうか。
「いいですよ!きっとみなさんも、誕生日買いや何とかの日だからといった『待ち』の買い方から一歩前進するときにはデータを重用視するはずです。もちろん私もデータは重用視して常にデータ分析はしていますが、まずポイントはスパンの長い過去のデータから数字の流れの変化を見極めます。ある一定期間同じような流れが続きそうなのか、単発的な変化が頻繁に続きそうなのかに注目しつつ、そうした流れがどの辺りで逆転するのかなどを探ります。さらにごく最近のスパンの短いデータをチェックしつつ、逆転の兆候が始まってないかなどの、数字のリズムを細かく分析していきます。特に一旦落ち着いた流れが逆転しはじめるタイミングが計れるようになると高額当選の可能性が高くなります。まあ、そうしたタイミングだけは経験と勘による部分が大きいので、明確に話すことはできないですけれど…。とにかく、長いサイクルでの数字の流れを感じながら、いち早く小さな変化に気づき躊躇なく動くことができる感覚を持った人がトータルで勝てるんです」

──差しつかえなければ、どのくらい勝っているのか教えていただけますか。
「金額をあげれば、この6年間のうちにナンバーズで稼ぎ出した金額は三千八百万円です。はじめたばかりの頃からの収支を加えるとおよそ6千万円ほどになります。もちろんこれは錦野との合計ではなく、私一人だけの収支です。ただ昔は今のように雑誌の連載もなかったし、いちいち証拠も残していないから、証拠が残っている額面ということで公的には3千8百万円としています」

──最後に2009年の最後の1ヶ月、力丸さんが気になる桁をどうしても教えてもらいたいのですが?
「やはりそうきましたか。わかりました。そうですね…。注目しているのはナンバーズ3の『 0 0 ※ 』です。ちゃんと覚えておいてくださいよ!」

──ありがとうございます。必ずチェックします。

THE匠・力丸専務プロデュース 大開運アイテム
大開運『超』的中ヤアズ & 六角柱水晶龍ペンデュラム!

ヤアズとは?
龍の7番目の子供。相手の殺気をぐいぐいと呑み込んでしまうことから、大昔から、魔よけや武器の模様になっているヤアズ。その最大の力は、金運パワーで、くじやギャンブルでは「当たり」を呼び込み、ビジネスや人生の「ここぞ!」というときに握り締めると、驚くような結果を引き寄せる気を放つ。持っているだけで、環境を大吉に変える、化殺風水の重要な改運アイテムである。

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投稿日時:2010.01.16(Sat) 18:00:00|投稿者:charge|コメントをお寄せ下さい
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